弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]感謝する事が幸福を感じる大きな要因だと云う事が研究者達によって解明された。子供たちに自分が感謝する姿をどれだけ見せて来たのかと思うと不安になる。

人間は幸せになる義務がある。誰かが幸せを保証してくれると間違っているのは良くない。保証できる人は誰もいない。と僕は思う。

 

幸せとは外的な要因によるものでは無く、もっぱら自分の内面が感じる事だが感性が鈍っていると気づかなくなる。

 

救急車がサイレンを鳴らして通り過ぎて行く。使命感に突き動かされ決して楽では無いであろう任務についている多くの人達が我々を守ってくれている。救急車で運んで貰った事が一度ある。

 

電話をして5分で飛んで来てくれた。本当にありがたい。ピーポーピーポーと聞こえると思い出す。誰も助けに来てくれない所で具合が悪くなった人も多くいる筈だ。思えば生まれてから今日まで、どれだけの人に支えられながら生きて来たのだろう。

 

先ず、これを幸せと思わずに何を幸せと云うのか。宝くじが当たったらと乙女ちゃんの様な事を思っても、そこには幸せになる事とは別の要因のものがあるだけだ。

 

毎年3万人以上の自殺者がいる我国だが専門家によると自殺者の周りの平均6人ぐらいが何らかの精神的な障害を受けると云う。18万人以上が毎年増え続けて連続14年を越えても減少する気配も無い。

 

社会が豊かになり国は基本的人権を国民に保証している。しかし幸福追求の権利はあっても幸せを保証してくれる訳では無い。にも関わらず、何でもかんでも権利として主張したり無いものねだりをする人は増加しているのかも知れない。

 

自殺までしなくとも、自分が不幸だと思っている人がいると周りに伝播する事も多い。自分だけの問題では済まない。

 

家族や周りの人達の為にも私達は「幸せになる義務」があるのだと云う認識を持たなくてはいけないと思う。国際的な調査でも国民が自分を幸せと感じている人の割合は先進国の中でも著しく我国は低い。我々は子供たちに何を教えて来たのだろうか?背中でどんな生き様を見せて来たのだろうか?

 

人に会ったら挨拶をしなさい。感謝を忘れてはいけません。と教えながら、背中で感謝する姿をどれだけ見せて来たのかと思うと不安になる。

 

これだけ豊かになった国で異常なまでに幸せで無いと感じている人達が多い社会を作って来たのは他でも無い私達だ。

 

お金儲けだけで幸せになると錯覚させてしまったのか?自分もしているのか?いずれにしても、感謝する心が著しく低下している社会である事だけは間違いでは無い。

 

80才になる母は、朝目が覚めただけで感謝していると云う。そこまでは出来ないが、明日からは手を合わせて「いただきます」と云うところから感謝を徹底した生き方に修正しようと強く感じた。窓の外から今も救急車のサイレンが聞こえて来た。