弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]「おもてなし」は優しく丁寧に!

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おもてなしはソコハカトナクが重要


「熱烈歓迎」とは少々趣きが違う

こんなサービスあんなサービスと云うのでは無くて、何だか良くわからないけど全体的な雰囲気が心地よいと云うのが洗練された「おもてなし」と思う。

ソコハカトナクがとても大切


食べ物をチョィと手でつまんだら、スッとおしぼりを渡してくれるみたいな。


レストランのカシータのおもてなしは、その時には「ありがとう」と云う程度しか感じないモノもある。


しかし、他所のレストランで「スミマセ〜ん!」とスタッフを探したり呼ばなくてはいけない時にその本当の凄さが解る


本格は、何をどうやるかと云うよりも「おもてなしの心」で満ちている「時間と空間の提供」なのだなと何時も感動する。

ヨイショは優しく丁寧に!


誉め殺しと云う言葉もあるが、お酒を飲むお店でウンザリする人も多いだろうと思う。


ご満悦で誉め殺しにあっても喜んでいる人もいるから必要悪なのかも知れない。


野暮と思う人は古き日本文化のカケラが遺伝子に残っているのだろう。

裏三味線と云うのがある


お座敷に上がってお酒を頂いていると、ソコハカトナク三味線の音がする。


この座敷の為に隣の部屋で三味線を爪弾いている。裏三味線と言うと聞いて「おもてなし」に感謝した。実に素敵なBGMだ。


主になる時と裏で支えになる時とをわきまえた素敵な文化だと感じ入った。

野暮な事はいい加減にして粋を目指したい


「粋を目指す」と聞くと遊び人の様なイメージが湧いていまう様な世情になっている。


拝金主義が行き過ぎたと言われて久しいけれど、お金にモノを言わせたり傲慢なのを嫌う体質が我々庶民文化にも元々ある。


それらを野暮と呼び、威張らず綺麗なお金の使い方をする人を粋と称えていた。

景気の低迷は世界的にも暫く続きそうだ。貧すりゃ鈍するとも言うし余程気をつけていないと野暮な事が日常になる

今、見直されている「おもてなしの心」も我々皆んなが既に持っている文化の財産だと思う。


野暮なモノに化かさないで、ソコハカトナク伝える美学まで一歩進めて行きたいものだと思う。