弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]映画『柘榴坂の仇討ち』を観た。武士道は武士だけが持っていたモノでは無くて広く社会で共感されていた日本の精神文化の一つだったと思う。私達も襟を正したい。

 

f:id:ramusan:20140926195201j:plain

 

武士道と云うと『葉隠』の「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」の有名な文言が浮かんで来る人も多いですよね。庶民とはかけ離れたものと感じている人が多い訳です。

 

葉隠』は覚悟として、常に己の生死にかかわらず正しい判断をせよと説いたものであり、決して自虐的なモノでは無かったんですね ♪

 

なかなか難しい事だけど、武士が目指していた様々な生き様や価値観について多くの庶民は尊敬もし共感をしていた様です。武士に限らず、日本人の目指す正義感や価値観について共有している事が多かったからではないかと思えます。

 

新しいタイプの時代劇 

時代劇・仇討ち、と並ぶと初めから敬遠される方も多いと思います。でも、是非ご覧になったら良いと感じた映画でした。観たら、想像していた映画のカテゴリーとは違うモノを発見されるかも知れませんよ。

 

貧しいながらも、小さな幸せを感じる事の出来る「感性を持つ事」が人生を豊かにするんだなぁ〜と、改めて感じて涙されるかも。僕も上映中、数度涙しました。

 


映画『柘榴坂の仇討』予告編 - YouTube

 

明治初期の絵模様が新鮮だった

桜田門外の変安政7年・1860年)から13年もの間、主君の大老井伊直弼を討たれた主人公の中井貴一が仇討ちを目指して最後の生き残りである阿部寛を探し求めます。

 

慶応3年(1867年)に大政奉還、翌年からは、明治に入り江戸は東京と改められました。明治4年には廃藩置県。主人公が属していた彦根藩も無くなります。そして明治6年、仇討ち禁止令が出された日に二人は出会います。

 

明治初期の文明開化が進む中で、二本差しのお侍の格好をしたままの中井貴一が妻に生活を保護されながら仇討ちを目指している姿は、ちょっとショックでした。江戸が突然と明治になったのでは無く激動の時代だった事を改めて感じました。廃刀令が出されたのはさらに3年後の明治9年になってからの事なんですね。

 

非道を見逃す者の責任もある

劇中、武士装束の男が街中で借金取りに土下座をして返済を待ってくれと頼んでいるシーンがありました。そこへ中井貴一が通りがかり、見逃せずに共に頭を下げます。

 

金貸しは、妻を女郎に身売りさせてでも金を返せと非道な悪態をつき、取り巻きのチンピラ達が刃物を抜いて迫る。中井貴一が刀の柄に手をかけた時に、チンピラが「一人でかかってくるのか!」と悪態をついた。

 

その時、それを見ていた人達の中から次々に名乗りを上げる人達が出て来たんです。人夫姿の者や職人や商人など様々の職業の人が「もと◯◯藩、某、助太刀いたす」と名乗りを上げる。形勢は逆転し市民は喝采すると云うシーンです。

 

最後に、警察官までが「姿形は変われども、どこにも武士はおる。忘れるな!」と借金取りに非道な事は見逃さないと恫喝します。

 

勿論、既に法治国家であり、借金を返さない男の方に非があります。しかし、非道な事や弱いものイジメは許さ無い者がいると云う名乗りの様に感じました。

 

ナショナリズムでは無く高い志

我国は、敗戦後から見失ったモノがある気がします。

 

脈々と続いて来た良いモノまで軍国主義と共に命脈を絶たれた感があります。「姿形は変われども、どこにも日本人はおる。忘れるな!」と堂々と非道なモノに立ち向かえる志を持ちたいものだと想いました。

 

僅かでも我々のDNAに刻まれ残っている伝統的な価値観や武士道の精神を「死ぬ」事では無く「ひたむきに生きる」事で昇華させ誇りある日本人を皆で目指したものです。