弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]海賊の晩餐=議論の醍醐味

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子供の頃は、大家族で暮らしていた。食卓も15人近くになる事も少なくなかった。家族だけで無く親戚や居候もいて友達も加わり賑やかな食事だった。父親が食道楽で夕食は毎日2時間近く歓談しながら食事をとる。小学生の時には、これは良く無いと学校の担任から指導を受けた事もある。中学に入った時には健全な家庭も体験する必要があると親戚が心配してくれて一年近く叔母の家で生活をした事もあった。

 

海賊の晩餐

食卓では食べ物や酒、素材や香辛料・料理法などの講釈を皆が楽しむと同時に夫々の体験談が披露され皆が講釈を言う。ジャンルは無限に拡がって行く。何気に聞いているだけでは無くて誰にも話す順番が回ってくるし意見も求められる。まあ、毎日がキャンプみたいな訳で来客をもてなすと云うよりは、父が自称していた通り海賊の晩餐だった。

 

共通の価値観が造成されていた 

その場では、確かに共通の価値観が造成されていた。誰かの価値観を他に押し付けるのでは無く色んな「モノの見方」がある事を認識させられた。楽しさを維持する為に僅かでも共通項を皆が探して行くと云う会話が続き大まかな価値観が共有されて行く。父が優柔不断な面もあるが他国の文化や思想にも拒否反応を示さず理解しようとする特質があったのも影響していたと思う。

 

会話はあっても議論は無い 

今は核家族で人数も少ない。食事も隔週で叔母が来る他は家族の誕生日に母が加わる程度で家に来客のある食卓は希薄だ。それぞれの価値観も概ね知れているので、夫々のタブーには誰も触れないし平穏ではあるが食事がメインで「海賊の晩餐」の醍醐味は無い。会話はあっても議論にはならない。

 

講釈はええですけぇ

世の中が複雑性を嫌い、白か黒かの極端な荒っぽい色分けを好む様になった。講釈は疎まれて、「一言で言うと何?」と要約が美徳にすらなっている。めんどくさい事が嫌いになったのだろう。しかし、世の中の全てのモノを一言で言い表す事は出来ない。その複雑性が高いがゆえに味わいがあるものもある。簡単に説明する事が出来るのも技術だが複雑性の高いものや抽象度の高い世界に目を向ける事も、自分の周りをより立体的に見る事が出来る様になる力となる。

 

人生の最たる楽しみ

仲間と話す時に、体験や価値観を披露しあい共に第三の価値観へと昇華させて行く醍醐味は人生の楽しみの最たるものだと思う。久々に生死を共にする体験をした仲間と話して抽象度の高い世界観を共有してとても楽しかった。今は亡き父の海賊の晩餐は今にして思えばとても有意義な時間だったと振り返った。