弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]「おむすび」は、おいでになるのか?

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尊敬語・謙譲語・丁寧語の文化


誠に複雑で難しいと苦手に思う人も多いが、幼稚園児でも見事に使いこなして自然と身について行くものが、尊敬語・謙譲語・丁寧語だ。


言語としては複雑だが人間関係を摩擦なく円滑にする威力は高い。

複雑性が希薄になるこの頃


経済成長が終って久しいが、経済戦士として現代の日本を作り上げた人達が残した後遺症は根深いものがある。


それを象徴するモノが会話に現れる

講釈はいいから値段はいくらなの?

理屈はいらないから損なの得なの?

一言で言うと、どう云う事?

屁理屈を言うな!

でっ、黒なの白なの? みたいな…


理屈を言う子供を嫌う大人達が複雑性の低い世代を育て上げてしまった。


社会全体が何でもかんでも二極化して考える荒っぽい思考方法に陥ってしまった。


世の中、そんな単純なモノばかりではない。ひとことで言えと言われても芸能人でも無いのにそんな荒っぽい事ばかりは出来ないし。


進化する過程であらゆるものは複雑性を増して行き、奥深さや味わいが付加されて行く。


複雑性の研究はあらゆる分野で進行しており近年再編成されている。


シンプル・イズ・ベストは、真理の一つだが、複雑性はその対極にあるものでは無い。


複雑性 complexity について見直して再認識する必要がある時期と思われる。

人間の序列?


人間関係の序列を図にするとしたら、それはとても複雑なものになる。


縦一列に並べられるものでは無い。


歳の順、背の高さの順、社会的地位や役職、卒業校や様々な力関係


法の下での平等や男女の関係、到底一つの序列表で表す事は出来ない。


そんな中で、言語による気持ちの行き違いや摩擦を極力抑えて、相手に敬意を示したり自分が謙虚になれるツールが、尊敬語・謙譲語・丁寧語たちだ。


微妙なところまで摩擦を抑える効果がある。和を最も尊ぶ文化のある我国の先達の創り出した知恵の塊だ。


文法の様に必ずこうしなくてはならないと云うものでは無い。


各自が自由に選んで使える仕組みになっており、強制されるものでも無い


それだけに、人によって物言いは違い格調高い人から粗雑な人まで様々であり個性にも繋がる。

おしい使い方


尊敬語・謙譲語・丁寧語などは、コミュニケーションの円滑油であり自分で選べる便利なものだけど、使い慣れないモノを使ってコケてしまう事もある。


若い人がサービス業に勤めて、一生懸命に尊敬語・謙譲語・丁寧語を使っているのは自然に身につく良い機会だと思う。


しかし、間違った使い方をした時に周りの大人達は教えてあげる努力を怠ってはいけない。


違った使い方のままでは、あまりにもオシイ。折角、気持ちがあるのに伝わらない。


伝わらなければ無いのと同じ

マニュアル化は難しいけど


接遇マニュアルでも尊敬語・謙譲語・丁寧語は決めるのが難しい。


同じお客様でも状況で変わるし、一辺倒には出来ない。

お客様からは指摘出来ない


うどん屋で、うどんを運んで来た娘が、おむすびが出て無いのを見つけて


「おむすびは、こられていませんか?」


と質問して来た。どう返事をしたら良いのか一瞬まよってしまう。


この娘が、おむすびを尊敬している立場なら、その娘にも敬意を持って「おむすびは、おいでになっていませんよ」と云う事になる。


まあ、これは冗談で実際には「来てませんか?」を咄嗟に丁寧に言おうとして間違ったのだと思った。


しかし、よそのテーブルでも同じ様に言っていたのを見て愕然とした。思わず、店長を見た。なんで教えてあげないんだろう?


最近の若い者は…と云うのは、間違えた見方で、明らかに教えない大人が悪い


人ゴトとはいえ恥ずかしくなって早々に退散した。