弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]水は上から下に流れる = 感化は下から上にも流れる

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波長の合わぬモノは避ける


韓国のセウォル号事件の時、情報が見たくてネットをウロついていて韓国の反応を翻訳したサイトに出会った。


反日一色のサイトなのだが情報もあり我国の2chの様なものかなと思い読んでいた。


そこに書き込みをする人達の理論展開や想いが新鮮と云うか物珍しかったのでチョクチョク覗いていた。


そこが韓国を代表するものでは無いけど、これまでに接した事の無い本音も聞けて面白くもあった。

気がつくと偏見が芽生えていた


恐ろしいもので世の風潮でもある嫌韓と云うか、明らかに偏った目で韓国や韓国人を見る姿勢が芽生えた。


毒が回ったなと思った。離れなくては…


情報収集のリテラシーが崩壊する


足を運び自分の目で見て、人に会い書を読むなど苦労して情報を集める事が有史以来続いて来た我々の常識であった。


世界を駆け巡るインターネット情報を情報源として活用し始めてまだ半世紀も経たない


そんな状況で我々はその恐ろしさにも自ら接し情報収集能力の再学習を強いられている。

辞書を引くのはもう古い?


従来の学習方法に疑問を持つのは健全な進化と言えるが、インターネットの使い方を大人も暗中模索している状態で子供達の経験だけでフル活用されて行く昨今は危なっかしいものも感じる。


小学生の段階で宿題をコピペで盗用処理してしまう環境を作り出したのは大人に他ならない。


情報の選び方はあるのか?


自分が迷走中なのに子供達にリテラシーを教えている人もいる。


概ね、情報の信頼性を基準に選ぶ方法を説いているのだが、ぼくはナンセンスだと思う。


長年、朝日新聞を信頼して読み入試にも天声人語を活用して来た大人達の発言の信頼度は薄い。

本草学でも毒と薬の境界線は無い


ここからこっちは毒、ここからこっちは薬と云う境界線は無い。


人の症状、体調によって同じモノが「毒にも薬にもなる


同じ様に情報自体を良い悪いに振り分ける事は不可能だ。


権力の都合で振り分ける事は有るかも知れないが、万民に良い情報かどうかを人が判断する事は出来ないだろう。

ならば子供にどう教えるのか?


難しい課題だが、少なくとも毒に侵されない対処が急務と考える。


ネガティヴなモノや、厭世的、退廃的なモノ、怨みや憎しみと云ったモノは伝播しやすい。偏見や差別も毒が回る。

波長を感じる感性を磨く


世の中には、人品を欠く人がたまにいる。多くの場合、言動や傲慢な態度で見分けはつき易い。これらの人からは離れるしか手が無い


価値観が違うだけなら解決方法がまだある。自分の価値観を押し付けず相手の価値観も良く聞いて理解し双方で第三の価値観に昇華させて行く大人の方法があるからだ。


しかし、人品を欠く人は波長が違う。社会教育においても人事のミスは教育では補えない事が判明している。


この人品を欠く人の中には、ある種の感情が垣間見れる。


嫉妬、怨み、憎しみ、劣等感など否定的な感情が頭をのぞかせる事がある。


こうした波長の違う人を感知して避ける能力を養わなくてはならない。


誰とでも仲良くしなさいと云う理想論を唱えている場合では無い。

波長の違う人を見分ける感性


あくまで、波長の違いを見分ける感性を伝えるのであって、個別の取捨選択に口を出すのは良くない。


子供の友達の選び方に口を出す親も居るが、あれは間違いで後悔する事になる。

情報収集のリテラシーを身に付けるには波長の違いを感じ取る感性を磨く


誠に残念だが子供に現状の本当の事を教えなくてはならない。


人品を欠く人がいる事。そして、これは避けるしかない事。


親と上司は選べないのだから、友達だけは自分の目でちゃんと選べと言っていたが、情報の選び方も技術的なモノでは無く、感性の問題だとぼくは思う。