弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]表現性が益々高まる「デジタル写真」から「写真」の真正性は失われた!

Film is not dead

 

SONY がカメラで健闘している

SONY ファンの僕としては、PCを諦めて?スマホは投げるのかと心配していたが、カメラ分野では成果を出しているので嬉しい。

 

SONY の NEX-5T の人気を喜ぶ反面、驚きの安さはかえって心配なところでもある。^^;カメラを買う相談を受けたら、殆どこれを勧めている。

カメラ本来の機能に加えて、スマホやネットにもデータをカメラ本体から送れる機動性があり、カメラ本体にアプリを入れるとレタッチや美肌加工も簡単に出来る優れモノだ!今の時代にピッタリで「写真作品」を作るのには手軽だし、女性にもフィットすると思う。

 

写真はまだ小難しいものだった

 

中学生の頃に写真の魅力に目覚めて夢中になり、家に暗室まで作ってもらっていた。^^;

1970年代なので、まだカメラを扱うのも写真を撮るのも小難しい時代だった。60年代にハーフサイズと言って、35ミリフィルムの一枚分のスペースに2枚の写真を撮る全自動のカメラが初めて登場して一気に写真が身近なモノになって行く過渡期だった。

 

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これは母が使っていた、ハーフカメラ 大阪万博などでハーフカメラは大活躍だった。

僕は、子供には虚仮威し(コケオドシ)用みたいな ^^; マミヤプレスや実用の複眼・一眼・35ミリなどを持ってウンチクを垂れていた。誠に恥ずかしい・・・

 

写真加工の楽しみ

 

今の様に簡単に写真に加工が出来ない時代。「写真」は文字通り、「真」を「写す」機能の機械だった。

 

「私は、写真写りが悪いから・・・」と云うセリフに

「写真は、そのままにしか写りません!」と云うイケズを言う人も多かった。^^;

 

現代のプリクラなど、そのままには写りません!みたいな・・・

 

写真加工が難しい時代だったので、加工はもっぱら暗室の中での「現像」や「引き伸ばし」「焼付」などの工程で色々と行っていた。これが、なんとも楽しい!

 

高校時代には、女性のポートレートを撮って美肌加工をして喜んでっもらい得意になっていた時期もあった。^^;

 

久しくフィルムを使ってなかった

 

と言う少年時代を送って来たので、デジタル化が進むに連れて、簡単に加工が出来る様になって行く過程を共に歩んで来た。

 

当初は、デジタル化に関して色々ウンチクも垂れていたが、暗室に篭もる事も無くなった。もっとも今の家では容易に暗室などは出来ないが。現像液の匂いは、甘酸っぱい青春の思い出の香りになってしまった。

 

フィルを使わなくなって久しいが、フィルムの味わいに魅せられて未だにフィルムを使っている人も少なくない。効果的にはデジダルでも殆ど同じ効果を得られる機能があるのだが、風格や味わいと云う様な話になるとそればかりでは無い様だ。

 

写真の真正性は薄まったのか?

 

「写真」と云うよりは「写真作品」と云う今の位置づけは、より絵画などの様に表現性が高まった事は良い事だが真正性は薄くなった。

 

そのままでは無いと云う事だ。加工が簡単になった為に「写真」が真実の姿をそのまま写し撮ったものでは無くなってしまった。デジタル写真は裁判の証拠としても認められず本来?の役割の一部が欠落してしまった。

 

しかし、フィルムの加工は大変難しい為に、フィルム写真も真正性の面で再認識されている。犯罪捜査や医療現場で加工が難しいと云う事でポラロイドカメラが復活使用されているのも真正性を写真に復活させる手段といえる。

 

書き換えの出来ないデジタルのチップなどで真正性を付加出来るのでは無いかと云う考え等、「写真」に真正性を持たせる技術も新たな課題として出て来ている。

 

 

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