弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]フラダンスの新しい魅力に接して清々しい気持ちになった。古典フラ(フラカヒコ)は神道にも通じる私達の文化の源流の一つであると再認識できた。

文藝春秋の新年号で立花氏が書かれているのを読んで納得した事がある。東日本大震災の物故者慰霊と被災地復興への祈りを奈良の東大寺と鎌倉の鶴岡八幡宮が合同で復興するまで続けると例年行っている式に奉納フラダンスが加わると云う事への違和感と云うか、フザケてないか?と云う疑問があった。フラダンスと云うとウクレレやスチールギターが奏でるハワイアン・ミュージックに合わせて踊る軽快なダンスのイメージを思い浮かべていたからだ。立花氏の説明によると、僕が思い浮べていた様なフラダンスはアメリカ文化の影響下で20世紀になって作られた現代フラ(フラアウアナ)であって、ネイティブハワイアンが伝統楽器とハワイ語詠唱(チャント)に合わせて踊る古典フラ(フラカヒコ)とは全く異質なものだと云う事だ。現代フラは周知の通り軽い感じのものだが、古典フラは宗教的な精神性が高く激しい肉体鍛錬からくる張り詰めた緊張感がある。万物に神が宿っていると考える文化は神道の考え方にも通じる。そう言えば以前、NHKの番組で長谷川潤が古典フラ(フラカヒコ)に挑戦する番組を見て普通のフラダンスと随分違うなと思ったのを思いだした。立花氏もNHKに問い合わせたらその番組を紹介されたと書かれていた。「長谷川潤・ハワイを踊る」と云う番組名だった。

 

 

長谷川潤が習っている先生は、伊勢神宮の式年遷宮でフラカヒコを奉納されたケク匕さんの叔母さんでハワイで最も有名なフラ教師と云う。山に入る前に、大声で山に向かって呼びかけ山に入る許しを得るなどのハワイの信仰は日本の神道的自然観と共通性が感じられる。立花氏が日本文化の起源の半分はアジア大陸、朝鮮半島経由のものだが、残りの相当部分が実は南方由来のものだ。記紀の神話伝説の多くがポリネシア文化圏(ハワイ、タヒチ、サモアなど)由来だと云う事も挙げられて、違和感は消し飛んだ。慰霊と再生の祈りを捧げる奉納フラは実に式典に相応しいものだと思った。

 

古典フラ(フラカヒコ

 

アメリカ文化の影響下で20世紀になって作られた普通に知っているフラダンスと古典フラ(フラカヒコ)の差を目の当たりにして、私達の文化もどこか変えられていないかと不安になった。宗教を聞かれて、即座に「無宗教です。」と答える様になった私達、自分の国を誇りを持って好きと言えない私達、何を恐れているのか?どこかで歪められていないだろうか?

伝統文化を継承すると云う事は古臭い事でもなく、右翼が唱える事でも無く自分達のアイデンティティーを持ち続ける為に必要不可欠な事と強く思った。