弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]自分の心理的盲点に気づくために読書をする。「活字」や人の話す「言葉」に加速度的に臨場感が高まって行く醍醐味は読書の最大の効用といえる。

本を読むのが好きな子供には「本ばかり読んでないで外で遊びなさい」と言い、本を読まない子には「本を読みなさい」と勧める。

 

自分が殆ど本を読まない親でさえ口癖の様に「勉強しなさい」と云う次には本を読めと云う。しかし、何のために読書が必要なのかを説明する親は少ない。せいぜい「頭が良くなるから」と云う程度だ。どんな本を読んだら良いと云う情報を与える事もしない。

 

読解力が上がるとか漢字が読める様になるとか知識がつくなど、試験勉強に役に立ちそうな気がして勧めているものと思われる。しかし実際は試験勉強には、あまり役に立たない。

 

100年前の親は「本なんか読んだら馬鹿になる」とマンガが出始めた頃の親がマンガを否定していた時と同じ事を言っていた。

 

本を読むのが好きな人でも、読まない人へ読書を勧める時には似たり寄ったりのアドバイスをする。自分で経験した事が無い事を追体験出来るとか、多くの価値観や色々な人の立場が解って勉強になるなど、子供が聞いてもあまり魅力的で無いことが連なる。

 

そんな事だったら、今の子供たちはマンガを読んでいるしアニメも見ている。テレビで世界の人跡未踏の地まで映像で見ている。ネットには膨大な映像も蓄積されている。

 

先日、二十歳になる次男と話をしていて、親も教師も教えていないだろう価値観を「ガンダム」がちゃんと教えてくれている事が解り感慨深いものがあった。

 

本を読むのが嫌いな子に読書を勧める事は、僕にも難しい問題だが本を読む事の効用については語れるかも知れない。

 

結論から言うと、本を読んでいると「活字」や人の話の「言葉」に対して臨場感が大きくなってくる。読書量が増えると脳を使い加速度的に臨場感が高まる様になる。人は自分の興味のあるものや知っているものしか認識出来ないと言われている。

 

興味の無いものや知らないものは目の前にあっても見えないと云う事だ。活字や人の言葉にも臨場感が持てないと風が吹き抜ける様にただ自分のそばを通りすぎてしまい認識できない。

 

活字の威力は計り知れない。映画でスタートレックを巨費を投じて3Dで作っても、活字の「そこには広大な宇宙が広がっていた」と云う一行の記述を超える映像を作るのは難しい。

 

どんな女優を起用しても「そこに絶世の美女が現れた」と書かれてしまったら、それを超える事は容易では無い。読者それぞれの「脳」は活字の一行から、それぞれのリアルな世界を構築できる。

 

読む人にとって好みに合わせて最高の臨場感を与えてくれる。読書をする事によってこの経験を積み重ねると「活字」の臨場感が高まり多角的な視野すなわち一段上の上位概念に到達して、そこからものが見える様になる。

 

どんな専門分野のエキスパートも研究を深めれば深めるほど心理的な盲点(スコトーマ)が出来ると言われている。読書は、この自分の心理的盲点に気づかせてくれる役割を担ってくれる。

 

と云う事は、どんな本を読めば良いかと云うのは自ずから解ってくる。興味のある本は勿論読めば良いが、多くの人が読む本とか自分があまり興味が無い本も読んで見る事が重要な事に気づく。片っ端から読むと云う感覚が必要だ。

 

年間50作品から100作品を読むと臨場感が高まり自分の心理的盲点を次々に発見出来る醍醐味を楽しめると思う。自分に関係の無い地方の天気予報なんかをボオーと見るのを止めただけで時間は出来るし相当の読書が出来る。