弥栄あめ『塞翁が馬じゃ!』ameiyasaka

人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)人の吉兆・禍福は変転する。一喜一憂している時間は勿体ない ♪

[üi]抽象度を上げる必要性

理屈や行政や法律で解決出来なくたった事を解決する仙人の様な職業がある。表舞台には現れないが伝統的に社会の中で必要な存在として認められている。

 

事件屋や怪しい人達では無く尊敬されている全うな人だ。仙人に、思わぬ経緯で数年お世話になり、そこの飯を食わせてもらった事がある。対処する問題は幅が広い。

 

代々の資産家で税務署や警察を信用出来なくなって人間不信になっている人達の問題から理屈を超えた人間の想いや感情のもつれから解決出来なくなった問題まで。前者は、笑い話の様な案件が多く我々の様な書生が代わりに行って一般の誰もが出来る様な手続きを普通に行うだけで解決出来る事も多い。

 

これらの報酬も莫大だが需要と供給があり利害が一致するので問題は無い。後者の人間の心や感情がこじれて解決出来なくなった問題は先生のご出馬が必要となる。どうしようも無くなるものは世の中に案外多い。見事に解決される手腕は神業だ。

 

そう云う仙人が扱うレベルの話でなくとも、我々の周りにも無駄な揉め事が多い。小さな違いにこだわって、「これは一生、平行線ですね!」と取り付く島も無い事を云う人も少なくない。

 

大同小異と云う四字熟語を知らないのか、岡目八目で周りから見たら同じ事でしょうと云う事も小さなところの違いにこだわって思考が停止している。

 

仙人の技を思い出している時に、最近よく耳にしだした「抽象度を上げる」と云う言葉が頭に浮かぶ。Dr.苫米地は、レベルソーブアブストラクションの訳語が無かったので「抽象度」と云う言葉を造語したと言われている。

 

抽象化すると云う言葉は曖昧にすると云う印象が強いが共通項を見出し矛盾を減らす要素が高い。抽象化の反対語は具体化と云う事になるが、これはより多くの情報を加える事で違いを明らかにする行為になる。

 

具体化すればするほど矛盾は多くなるのは仕方がない。一方、抽象化する事による弊害は共通項を見出す事によって矛盾は減るが具体的な情報量も減り臨場感が落ちる事かも知れない。

 

魔法の様な技で問題解決をしていた仙人は、問題を起こしている両当事者の抽象度を上げる事によって問題を解決していたんだと云う事が今は少し理解できる様になった。

 

ダックスフンドーとヨークシャテリアの飼い主が特性について論争している場面で抽象度を上げるとは「犬」と云う上の概念レベルに抽象度を上げる必要がある。

 

具体的な情報は減るが共通点でグループ化する事で矛盾は減る。抽象度がより上のレベルの「動物」と云う概念として考えると具体的情報はさらに減り矛盾が減って来ると云う思考パターンの作り方だ。

 

人間は知っている事や興味のあるものしか見えない(認識できない)と言われている。とすれば、抽象化する力が弱いと学習出来ないと云う理屈になる。抽象度を上げて、より高いレベルからものを考える習慣をつけたいものだ。